37 :oink:2006/09/26(火) 17:36:15 ID:IdYBwNKp0


時代は戦国。未だに天下はその行く末を定めていない。


神奈川の山中には、炭焼き職人が集まる小さな集落があった。

普段は使われていないのだが、冬になると一時的に何人か集まる事で知られていた。

麓の村に下りない変わり者ばかり、と言う噂だった。

ある日、その小さな集落に一人の娘が逃げてきた。

その娘は山を三つ越えた場所にある小さな村の出で、何者かに襲われて一人だけ漸く逃げて来たと言う。 

真っ白い着物に素足、髪はザンバラで、初めは幽霊かと思ったほどだった。 

手足が氷のように冷たく目が虚ろな為に、慌てて小屋の中に導いた。

「他の村人は?」 

炭焼き達は色々聞くが、がたがたと震えるだけで要領を得ない。

漸く娘が話し始めた内容は、とても信じられないものだった。



38 :oink:2006/09/26(火) 17:36:49 ID:IdYBwNKp0

『領主を呪う為に生贄狩りをしている』と言う噂が娘の村に流れたのは、今月に入ってからだった。

何でも、幾つかの村は襲われて全滅したらしい。

疑わしい話なので誰も信用しなかったが、それでも不穏な空気を感じざるを得ない。


娘の村に奇妙な仮面を被った一団がやっていたのは、五日前の事だった。

村の真ん中で厄払いの儀式を行う事になったのは、領主の意向らしい。

領主の手紙を村長に渡した集団の”長”らしき者は、村長の警戒を解くかのように何かを渡した。

娘はその何かを見てはいないが、村長の態度が変わったので、「金でも貰ったんじゃないか?」と噂しあった。


その夜、村人は得体の知れぬ夢を見て、次々に飛び起き、村全体が騒がしくなった。

形容しがたいドロドロの何かが、村を飲み込む夢だ。

そうして、一人も残らず食べられてしまうと言う夢。

それを見たのは一人二人ではない。村人の殆ど全てがその夢を見た。


これは奇妙な儀式と関係があるとして、村長が村はずれに滞在中の”長”の所へ抗議に行く。

だが、その時既に異変は起こっていた。

歩き出した村長と数人の若者が、突然村人の目の前で消えた。

真っ黒い霧の様なものが、何かを音を立てて”食べている”。

次いで、松明の火に照らされたのは、転がって来た村長の首だった。

呆気にとられていた村人が、恐慌状態に陥るのは簡単だった。


それからの事は思い出したくもないという。

山の中に逃げ込んだ娘は、背後に沸き起こる悲鳴や怒号に耳を塞ぎながら、山中を駆け回ったという。

そして雪を食べ、沢の水を飲んで、漸くここまで辿り着いたと言う。


この話が本当なら、大変な事だった。

娘が嘘を言っているようには見えない。

山道が雪に閉ざされる前に、麓の村に知らせに行かねばならない。

炭焼き職人達は娘を背負うと、一路山を下った。



39 :oink:2006/09/26(火) 17:37:30 ID:IdYBwNKp0

村長は、変わり者だがまじめな炭焼き達の言葉を信じる。

「変な集団が来たら村に入れてはいけない」

「領主様に報告しておくべきだ」

そう言って娘を預けると、職人達は集落に戻っていった。

少なくとも、変な儀式をさせなければ村は大丈夫だと信じて・・・・ 


その翌々日、漸く集落に帰ってきた職人達は恐怖した。

仮面を被った怪しげな集団が立っているではないか。

逃げようにも、疲れた彼らにはその力が無かった。あっさりと捕まり観念した。


「村は救った。お前らには騙されないぞ!」

職人の中でも年長の男は、そう言って笑ってやった。

その途端、顔色を変える変な集団の長らしき人物。

「お前ら・・・誰か村に入れたか!?」

その雰囲気に呑まれた年長の男は、それでも虚勢を張って答える。

「お前らが襲った娘を救っただ・・・」

「バカが!!!!」

男の言葉を遮って怒鳴りつける長。



40 :oink:2006/09/26(火) 17:38:36 ID:IdYBwNKp0

「お主等が”導いた”のは、人の姿をした鬼じゃ!」

訳が判らない。あの可愛らしい娘が鬼などということは考えられなかった。

「嘘じゃ!お前らのいう事が信じられんわ」

「・・・お前ら。この冬山で只の娘が、どれ位彷徨うて生きていられると思うか?」

「・・・・・・」

「その娘、当に死んでおるわ。目は?体は?生気はあったか?」 

男の言葉ががんがんと響く。

言われてみれば思い当たる節はある。

長は続けて言う。

「皆殺しにした村の中から都合の良い人間を見つけると、中に入り込んで、次の村を襲う。

 村々には悪霊避けの護符がある所が多く、人の姿を借りると共に、”導いてくれる”人間が必要」 

それを聞いた職人達は、とんでもない事をしてしまったと言う恐怖に染まった。言葉もない。

慌てて戻ろうとする男を長が止める。

「・・・もう遅い。二日も経っているのだろう・・・今回も間に合わなかったか・・・!」

無念そうに呟く。

職人達にこの土地から離れるように告げると、彼らは無言のまま村ヘと向かった。

鬼を追うために・・・ 

職人達はただ呆然と立ち尽くすだけだった。



41 :oink:2006/09/26(火) 17:39:38 ID:IdYBwNKp0

この村の資料としては、郷土資料館の地下書庫に眠る『仏黒山村 記』にのみ記されている。

『村の住人は誰も居なかった。忽然と一人も残らず消えていた。犬もネコも牛も馬も、何も居なかった。

 ただ、彼方此方にこびり付いた血の痕が、ここで何かがあったことを告げていた。

 村の住人が戦った様子は無い。

 しかし、固まっている血溜まりから見ても、明らかに殺された形跡はある。

 死体も無く、ただ何もかも消え去っている。』


当時、この地方を治めていた領主に当てられた報告としては、これ以上の事は書かれていない。

恐らくは盗賊の類に殺され、生き残った者も死体ごと連れ去られたのだと考えられた。

戦国の世の中で、山奥の小さな村が消えてなくなる事自体は、さほど珍しい事ではなかった。

しかし、それらの真相が明らかになる事もまた無かった。

炭焼き職人達のその後は、杳として知れない。