255 本当にあった怖い名無し 2006/07/01(土) 20:08:27 ID:3inVLmhR0
212と217を書いたものです。
私が最も後悔した呪いの話を書きます。
それは中学1年生の冬のことでした。私たち家族は毎年冬になるとスキーに行きました。この年の冬も家族でスキーに行くことになりました。
私は断固として拒否しました。中1の春から飼っている犬の世話をする、それを第一の理由に挙げました。

両親は「そんなもばあちゃんがやってけるんだから」と言いました。
「ばあちゃんじゃ駄目だ!うちがやるからスキーはいかね!!」とけんかになりました。
両親はかなりかんかんでした。
当時私はまた新しい学校に転校してきたばかりでした。3回目の転校でした。そこは東北の小さな田舎町で、閉鎖的な場所でした。
地域からの疎外感が私を登校拒否にしていました。
同時進行で兄も不登校でした。私の兄は私が小学生の頃からひどいいじめを受けていて、新しい地域に来てもなじめず、
ずっと家に引きこもっていました。両親は兄に付きっ切りで、私は長い間、孤独だったんです。
私がスキーに行きたくないと言った本当の理由は、母を独占したかったからです。
いつも兄にばかり優しい目を向ける母を遠くから見ていました。
どうして私のことは見てくれないの?
いつも不満に思っていました。
少し話はそれますが、兄が雨に濡れて帰ってきたことがあります。その時母や祖母はタオルと着替えを準備して迎え入れていました。
でも私が雨に濡れて帰ってきたとき、兄と母と祖母は今でテレビを見ていました。
私の姿を見て「部屋濡れるから入ってこないで、早く着替えなさい。」と一言だけ言われて終わりました。
そんなこともあり、愛情に飢えていた私は、スキーに行かないと言えば、母が家に残ってくれると思ったんです。
父と兄だけがスキーに行って、母は私のために傍にいてくれると。
しかし母は「勝手にしな、わがままで腹が立つ。」と言って、父と兄と車に乗ってしまいました。
私は、憎しみと怒りで、顔が真っ赤になりました。
腸が煮えくり返るとはこういうことかと思うくらい、全身が震えました。
私は、車の出発する音が聞こえた瞬間に、ありえないくらい低い声で、こう溢しました。
「血まみれで帰ってこい」

呪うと言うよりも、罵声に近いです。ただ、彼らがスキーに行っている間、私は「あいつら帰ってこなければいいのに。」とか色々考えていました。


256 つづきです。 2006/07/01(土) 20:12:07 ID:3inVLmhR0
3日後、車が車庫に入ってくる音がして、2階の窓から覗きました。
車から母が出てきました。杖を突いていました。
「ん?????」
あわてて外に出ると、母の左足がダラーンとなっていました。スキー中に他のスキー客と激突し、左足を怪我したというのです。
これから病院に連れて行くと父が言いました。
母の足は右足の2倍以上に膨れ上がり、母は言葉も出せないほど苦しんでいました。
私は「罰が当たったのよ。」とほくそえんでいました。
病院にいくと「剥離骨折」と診断され、全治3ヶ月と言われたそうです。
母は今も正座をすることができません。
今は家族と別々に暮らしている私ですが、たまに実家に帰って、母が笑顔で台所から足を引きずりながら迎えてくれると、胸が苦しくなります。
「あんたの好きなひっつみ汁作ってたの。」
母の優しい言葉が今でも私を苦しめています。


車から母が出てきました。
杖を突いていました。
「ん?????」
あわてて外に出ると、母の左足がダラーンとなっていました。
スキー中に他のスキー客と激突し、左足を怪我したというのです。
これから病院に連れて行くと父が言いました。
母の足は右足の2倍以上に膨れ上がり、母は言葉も出せないほど苦しんでいました。
私は「罰が当たったのよ。」とほくそえんでいました。

病院にいくと「剥離骨折」と診断され、全治3ヶ月と言われたそうです。
母は今も正座をすることができません。

今は家族と別々に暮らしている私ですが、たまに実家に帰って、母が笑顔で台所から足を引きずりながら迎えてくれると、胸が苦しくなります。
「あんたの好きなひっつみ汁作ってたの。」
母の優しい言葉が今でも私を苦しめています。