昭和22年の夏のお話です

新潟警察署2階奥にある部屋では、殺人事件の容疑者の取調べが続いていましたが、
時間が経過するばかりで一向に終わる気配がない日々が続いていたそうです。
殺人の容疑で逮捕された容疑者は、容疑を否認、見え透いた嘘を二転三転と時間稼ぎ
をしながら供述してたそうです。
新潟地方裁判所検事局は事件記録を検証、担当する真田検事は、物証と容疑者の関連を立証済みだった。


この事件は1946年(昭和21年)夏、新潟市内中心街の密室で発生。若い女性が何者かに殺害された事件。目撃者もなく、容疑者は容疑も認めず時間だけが過ぎていく中、
当時は取り調べに対しての制限時間がなく、深夜でも構わず取り調べが出来た時代。
そして、ある日の深夜2時、容疑者の様子がおかしいと感じた瞬間、無表情のまま
容疑者の口が開き、己の口から何かを呟く。誰かに促されたごとく、犯行を自白し始めたのでした。自分の意思とは全く関係なく、取調室の入り口辺りを一点見つめたまま、
唇を動かして自白していた。不思議なことに風もない日だったが、取調室の廊下側のドアが風圧を感じ揺れ動いたといいます。そして、誰もいないのに、取調室の外から窓越しに、じっと誰かが取調室の様子を伺っている視線を感じたそうです。
同室にいた警察官が、この奇妙な現象を不審に思い廊下を出て外を見ると、その直後に
悲鳴が上がり、容疑者の叫び声…「検事さん見てくれ!」余りにも動揺した声の警察官
の声に真田氏は廊下に飛び出ると、なんと被害者の女性が立っていたそうです!
「被害者だ!被害者の女性だ!」真田氏も思わず叫んだという。
そこには無表情の蒼白い顔の被害者女性が立っている!
気を取り直し、話しかけようとすると、スーッと階段の方へ移動し
その後ろ姿は消えてしまったそうです。
「被害者が幽霊となって出て来たんだ!」2人同時に同じ言葉を吐いたそうです!

真田康平検事は、当時を振り返りこう述べました。
「事件から60年経過した今でも、幽霊となって現れた被害女性の姿はハッキリと覚えている。容疑者が自白し認めた罪を見届けたかった如く、取調室の前に現れそして消えて行った霊姿を忘れない」と。
当時の夕刊紙によりますと、事件後迷宮入りになると思われた事件は、事件発生1年後の深夜に解き明かされ、犯人は紛れもなく取り調べを受けてきた容疑者であった。
昭和22年11月の公判で、真田検事より「被告人の罪は軽からず、永く自らの反省をなし、今は亡き被害者の冥福を深く祈り、天地そして人に対して最大限にその罪を謝すべきである」と法廷で、論告求刑の声が響いたそうです。